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変色系男子の日常。

心の井戸をうつす歌

最近、ミスチルの「蒼」が好きで、よく聴いている。お世辞にも明るい歌とはいえない、いやありていにいえば、彼らの歌の中でもかなり暗い部類だ。しかし、この歌に含まれる強烈なメッセージ性や憂いのあるメロディに引き込まれずにはいられない。そして、不思議なほどの熱量の共感がこみあげてくる。

 

僕と同じような意見をインターネット上でもよく見かける。ブログだったり YouTube のコメント欄だったりで。事実、ミスチルは人々の共感を誘う歌をたくさん生み出し、数十年もの間、ファンの心をつかみ続けているが。なぜミスチルは人々の心の内を見透かしたような歌を生み出し、多くの共感を得るのだろうか。

 

世界には多種多様な人間が存在するが、人間である以上、根幹はさほど変わらないのだと思う。深層心理の底に巨大な井戸があって、それを世界中の人々で共有しているようなイメージだ。その井戸には水のかわりに人間の共通項とも呼べる何かがある。ミスチルは、その井戸の中身を照らし出す能力に長けているのだと思う。内省的な姿勢を持って、その中身をためつすがめつする。それも色々な視点から色々や方法で。歌ひとつひとつがその観測の結果だろう。

 

ミスチルの歌だけでなく、小説家が紡ぐ物語、いや人間の創作物のほとんどが似たようなものだと思う。彼らの創作物を通して、僕らは自分の深層心理の一端、ほんのごく一端を垣間見るのだ。

ふたりの自分とそのバランスについて

軽はずみな言動を後悔することがしばしばある。ふと心に思いついたことが、僕の中で厳正な審査を経ることなく、勢いそのままに口から飛び出してしまうのだ。それを後から、数秒後のこともあれば数日後のこともあるのだが、猛烈に悔いる。「ああ、間違っていた。なんであんなことを言ってしまったのだろう」と。発言したときはそれが世界の真理のように感じ、はつらつとした気持ちだったのに。このように、向こう見ずな僕が払った代償を内省的な私が背負うという構図をたびたび目にしてきた。

しかし、内省的な私はふと思った。あのときあの瞬間に正しいと思ったのならば、悔いる必要なんてあるのだろうかと。月にも光の当たる面と当たらない面があるように、その発言にも見方によって、見る地点によって、明るい面と暗い面があるだけではないだろうか。

例えば、誰かに失礼なことを言ってしまったと後悔することがある。しかし、発言それ自体ではなく発言の仕方にちょっとした問題があって、相手の精神を逆撫でしてしまっただけではないだろうか。無骨だけど味のあるブリキのおもちゃを、包装紙に包みもせずに相手に投げ渡すように。ちょっとこじゃれたオブラートにラッピングして、気の利いた言葉を一言添えて渡してあげれば、印象は大きく変わったのではないだろうか。

軽はずみな僕は、いつもよく考えてくれる内省的な私を信頼する。そして、内省的な私は、軽はずみな僕の言動も別に間違いではないと認めてあげる。そうすることで、少しずつだけど、自分のバランスが保てるようになってきた気がする。マクロな視点でもミクロな視点でも、世界にはバランスが必要なのだ。

街の目立たない定食屋さんの活躍について

今日は飯塚に出勤した。僕がこの地に赴いたときに最も困るのが、お昼ごはんの選択肢の少なさだ。昼休みを迎えるたび、同じ CM を何度も何度も見せられるときのようなうんざりした気持ちに陥って気が重くなる。

ところが、今日の昼はついに新しい風が芽吹くことになった。同僚の提案で、始めての定食屋に行ってみることにしたのだ。会社から車で 5 分程度の場所にある、少々うらぶれた外観のお店だ。

スライド扉を開けると、こじんまりとした店内は、それなり数のお客さんで埋まっていた。内装は以前は焼き鳥屋だったかのような様子で、細長いカウンターと奥に小さな座敷が 2 テーブル。カウンター席は 7, 8 割がた、薄汚れた作業服あるいは少しくたびれたスーツをきたおじさんで埋まっている。座敷は 2 人のおじさんが専有していたが、団体客の僕らが来たのを見て、すぐに座敷を譲ってくれた。気のいい人たちだった。

僕以外はみな、ワンコインの定食を頼んでいたが、僕は +150 円でチキンカツ定食を注文してみた。この少しの差額がクオリティの明暗を大きく分けると直感したからだ。そしてこの直感が功を奏した。運ばれてきた定食には、一般的な家庭で作られたような小ぶりで無秩序にうねったカツたちが盛り付けられていた。かなりのボリュームだ。僕の前に座っていた後輩たちのうらやましそうなまなざしが痛い。

見た目はいたって普通だが、口に入れると非常に柔らかくてジューシーで面を食らった。これは高級な食材を使っているせいではなくて、料理人の熟練した腕によるものだと思う。そして、カツに含まれる作り手の優しさと、偶然この店に足を運んだ僕を朗らかに歓迎してくれる何か不思議な存在。それらがミステリアスに調和して味覚に作用するのを感じたのだった。

店を出ると、心に巣食った暗澹は姿を消し、清々しさが入れ替わりにやってきた。僕の知らないところでこういう素敵な定食屋さんが粛々と料理を提供して、人々の胃袋を満足させていることを知って、少しだけ感動した。食べログに口コミのひとつも載らないほどひっそりとしたお店。そういうお店たちがたくさんの人々の原動力となって、この世界を支えているのだ。

人生の勝ち組とは

この世の中、いつだって気持ちよくなった方の勝ち。違うか?

- チャールズ・ビームス (交響詩篇エウレカセブン)

 

気持ちよくなったものが人生の勝ち組なのだとしたら、数時間トイレを我慢し続けたのちに、無事安息の地にたどり着くことのできたこの僕は、人生の勝ち組なのではないだろうか。少なくとも堰を切って放水したこの瞬間においては。

 

我慢を続けることで、いつ膀胱が炎症してもおかしくはない。ふとした事故でさらに数時間の間、尿意という不快感を感じ続ける羽目になるかもしれない。はたまた、運悪く途中で命を落としてしまえば、自縛霊として尿意とともにこの世に未来永劫絆され続けるかもしれない。そういった危機を無事に回避し、万難を排して白い陶器と向き合えた喜びは、想像しうるあらゆる幸福を凌駕している。

 

高い壁を登った先には必ず救済がある。それを迎えることのできた自分が勝ち組ではなくて、なんと呼ぼうか。

 

しかし、放尿後の多幸感に浸るのもほどほどにしなければいけない。そのような余韻はたちまちに過ぎ去ってしまうだろう。そう、僕らに必要なのはただ勝つことではなく、勝ち続けることなのだ。それをゆめ忘れることなく、さあ次のステージへ進もう。次は TOTO か、あるいは LIXIL か。新たな出会いに心躍らせながら。

蹴りたい背中 in アローラ

ポケットモンスター サン・ムーン」のレーティング対戦だが、シーズン 1 が終わり、もうすぐシーズン 2 が始まろうとしている。ときに楽しくときに厳しいあの日々も最後を迎えて、季節は巡る。何もかも同じままではいられないのだ。

一世を風靡したテッカグヤは、カロス地方からやってきたメガリザードンに消し炭にされるだろう。そして、レーティング界の守り神たちの頂点に君臨したカプ・コケコもメガフシギバナの猛毒に骨まで溶かされるだろう。依然として頂点に残り続けるのはガブリアスのみとなるだろうか。

僕は「ポケットモンスターブラック2・ホワイト2」ぶりにポケモンを初めた。そして、レーティング対戦は今作が始めてだった。なるべく強力なポケモン (俗にいう厨ポケ) だけに頼らずに、自分の好きなポケモンたちだけで戦おうとあがいたが、結果は 334 戦 164 勝 170 敗 (勝率約 49.2%) と苦しい結果に終わった。経験はもちろんだけど、相手の行動を読んだり、負け筋を摘んで勝ち筋を失わないための思考力が全然足りてないのだと思う。

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👆 最近のパーティ。はがねタイプやエスパータイプ、ゴーストタイプに弱いという致命的な弱点があるけれど、育成済みのメンバーの中でなるべくバランスよく固めたらこうなってしまった。そもそも育ててるポケモンが偏りすぎていたw

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👆 シーズン 1 でのわがパーティの MVP (Most Valuable Pokémon) のフェローチェ。NN は「スターシア」。まさに蹴りたい背中 (蹴る方の意味で) 。

さあ、もうすぐカロス地方ホウエン地方から魑魅魍魎たちがやってくるぞ。準備はいいか!僕は全然だめだー 😭
最近は根を詰めてプレイしすぎた気もするので、今度からは心機一転して気楽にまったりやりたい。もちろん、勝ちにいくけれど、何より楽しんで!

アローラ ✨✨✨

日常の中のファンタジー

数年前「魔法少女まどか☆マギカ」(通称: まどマギ) というアニメ作品に出会ったとき、僕はこれほど愛すべき作品に出会えたことを、とても幸運に、かつ幸福に思った。その一方でこうも思った。「今後、これ以上の作品に出会うことはあるのだろうか?」と。ストーリーがあまりにセンセーショナルで、演出がとてつもなく魅力的で、キャラクターがこの上なく魅惑的だったからだ。しかし、この懸念はやや大げさであり、杞憂であることがそのまた数年後に分かった。「ひだまりスケッチ」というコミック・アニメ作品、村上春樹という作家の著作、「メイドインアビス」というコミック作品など、まどマギに勝るとも劣らない珠玉の作品たちに出会うことができた。

そして「ハクメイとミコチ」も僕の人生を大きく揺るがした作品のひとつだ。

今までに読んだコミック作品の中でも最も愛していると断言できる。これは 2 人の小人 (ふたりとも女性) が主人公で、彼女らのスローライフを描いた日常系ファンタジーだ。この世界には小人の他にも小動物や昆虫たちが暮らしている。設定はまさにファンタジーだが、この世界では現実世界と同様に経済が回っており、(動物や昆虫たちも含めて) 人々は職業に就き、窃盗などの犯罪もそれなりに発生している。つまり、僕らの現実世界と非常にそっくりな社会が形成されているのだ。その一方、登場人物のサイズがだいたい小さいのに対し、もののサイズが等身大なのもリアルだ。例えばコーヒー豆は彼女らにとっては両手で抱えるほどのサイズになる。このファンタジーとリアルが巧みに融合した様子が面白くて、リアル要素がファンタジー要素を強める要因となり、見るものを作品に没入させる。

巧みな設定に加えて秀逸なのが、緻密な書き込みだ。ひとコマひとコマが細い線で丁寧に書き込まれていて、それがまた読者を夢中にさせる要因になっている。彼女らのスローライフに合わせて、その素晴らしいイラストをじっくりと堪能しながら読み進めるのが心地よい。

これほど綿密に練り込まれたファンタジー作品は、もはや非ファンタジーとしての日常と区別が付かなくなる。まさに世界のどこかに、この愛すべきファンタジーの世界が存在していると確信が持てそうになるほどに。また、実際の幼い日の田舎での思い出が、この作品の牧歌的な要素に呼応しているのかもしれない。そして、このような日常の中のファンタジーは、僕に大きな安らぎを与えてくれる。

たぶん、日常とファンタジーは相反するものではなく、むしろ、表裏一体のものなのではないかと最近よく思う。この世界もまた、リアルとファンタジーの融合した結果生まれているのではないかと。まさに Mr.Children が fantasy という歌で表現している通りだ。そう考えると、ときに非情で理不尽で退屈に思えるこの世界も、捨てたもんじゃないなと思える。そういった思いをくれるファンタジーたちにこの上ない感謝を贈りたい。

僕らは愛し合い 幸せを分かち合い 歪で大きな隔たりも越えていける たとえばそんな願いを誓いを皮肉を 道連れにさぁ旅立とう 日常の中のファンタジーへと

真鯛のスライス

今日のお昼は、職場の近くのプロントで「真鯛のだし茶漬けスパ」というメニューを食べた。看板に載せられた写真が僕を魅了してきたからだ。正直、コストパフォーマンスは最悪だった。パスタにコーヒーをつけて 1,090 円。高い。そして肝心のパスタ。コンセプトはいいし、味も悪くないんだけど、具が非常に少ないせいで貧相な印象を受ける。ただ、ひかえめに乗せられた真鯛のスライスが非常に美味しかった。薄いながらも香りがよくて、食感もふわりとやわらかくてたまらない。もし宝くじに当たったら、このスライスだけをお皿に大量に盛り付けて、満腹になるまで食べてみたい。