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変色系男子の日常。

whereabouts

はじめに

今からものすごく抽象的で曖昧なことをつづります。自分でも何を言っているのか、よく分かりません。でも漠然と考えた内容を何も残さないよりは、文章に残したほうがマシかなって思いました。なので、ただ思っていることを書き連ねてみます。

広すぎる世界と自分の居場所

世界があまりに広漠かつ多様で、自分がなにもので、なにをしていて、どこにいるのか、どこにいればよいのか、どこに向かえばいいのかよくわかりません。みんなはどうやって、この広い世界の中で自分の居場所を確保しているのでしょうか。どうやって自分はこういうものだという落としどころを探っているのでしょうか。

最近まで僕は他人との比較の中で生きていました。いや、今でも多少なりその中で生きています。ただその自覚の有無が、最近までの自分と今の自分の違いです。

学生時代までは「学校」という非常にクローズドな世界で生きてきました。その中で僕は「頭の良さ」と「運動神経の良さ」というたった2つの軸だけで他人と比べて生きてきたように思います。

「運動神経の良さ」は幼少期から最低レベルで常に引け目を感じていました。これについては以降は言及しません。「頭の良さ」は小中学校ではクラス内で最高レベルで、高校ではクラス内で最低レベルで、大学では学科内で中くらいのレベルでした。「成績」という指標が「頭の良さ」を数値化してくれるので (それがどれくらい正確な指標なのかはここでは気にしません) 、属している学校のレベルと合わせれば、自分がだいたいどのレベルにいるのかがだいたい分かりました。ちなみに、ここでの「頭の良さ」の「レベル」は「自分と居場所」とほぼ同義だと当時は考えていました。色んな「レベル」を往来してきたことで、成功や挫折を味わってきました (きたつもりでした) 。

しかし、社会という新しい世界に出て環境が一変しました。社会では (少なくとも僕のいる会社では)「成績」なんて指標はないので、自分がどの程度のレベルなのかはよく分かりません。仮に自分が所属する会社の中でのレベルが分かったとしても、今いる業界全体の中でどれくらいのレベルなのかは全く見当がつきません。ましてや社会全体では、自分がどのレベルにいるのかが分かるわけがありません。

そしてある時気が付きました。世界はあまりに多様すぎて、今持っている「頭の良さ」というものさしが何の役にも立たないと。それをさらに抽象化した「レベル」というものさしですら何の役にも立たないと。それに気付いた時、僕が感じたのは挫折でもその反対でもなく「井の中の蛙」感でした。自分は自分の殻に閉じこもっており、何も知らないんだなって。

例えるなら、FF7 の序盤でミッドガルから外の世界に出た瞬間 (FF7 やってない人ごめんなさいね) 。ミッドガル自体が閉鎖的かつかなり広い都市で、そこだけでひとつの世界が成り立っているように感じていました。その心持ちのまま外の世界に放り出された時のあの「え、今までいた場所はたったこれだけの大きさだったの?」的な感覚がまさに「井の中の蛙」感です。

今の自分はミッドガル近辺でレベル上げを繰り返しているだけのように感じます。同じ場所でレベル上げを続けていても、上昇するレベル数には限度があります。もうこれ以上レベルは上がらないので次のダンジョンに進まないといけないのに、ずっとそこに居続けている感覚。

こういうことを考えている時点で、やはり自分自身の「井の中の蛙」感が拭えないです。なぜなら、常に前進し続ける人は「井の中の蛙感」を感じる前に新しいダンジョンに飛び込んでいくからです。でも僕にはそれができない。二の足を踏んだままずっと同じ場所にいます。それはなぜなんでしょう。新しいダンジョンで未知の敵とエンカウントして倒されるのが怖いから?でも既にレベルはそのダンジョンを攻略するのに到達しているかもしれないのに。いや、ダンジョンには入ったけど、敵が強すぎて攻略を諦めた。でもこれ以上はレベルの上げ用がない。それは、進むべき方向や攻略する手順を誤っているんじゃないでしょうか。

結論 (ここらへんで力尽きて Game Over になったので適当)

  • 人生はロールプレイングゲームだ。
  • 次に向かうべき街やダンジョンが分からなくても、とどまるよりはとりあえずさまよう方がよさそうだ。
  • ユフィちゃんと過ごしたあの日々は何ものにも代えがたい。