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変色系男子の日常。

嫉妬と知識と馬鹿と

僕は嫉妬している。嫉妬の炎がメラメラと燃え盛っている。誰に嫉妬している?他人に対してではなく、過去の自分に対してだ。過去の自分を妬むなんて、最も愚かな年齢の重ね方のひとつに違いないけれど。

昔 (大きな挫折を味わった高校生以降) から今まで、人一倍の劣等感を抱えて生きている。しかし、10 年ほど前は根拠のない自信も持ち合わせていた。早朝はバイト、昼は大学、夜は遊ぶというバイタリティがあった。話の合う学友がいた。趣味の合う恋人がいた。毎週末のようにゲームのオフ会に参加し、あるいは主催していた。今と比べるととにかく行動力があった。

社会人になって 10 年ほど経とうとしている。学生のころに比べ、圧倒的に知識はついたし、それなりに経験も積んできた。いくつかの人生哲学を手に入れることもできた。しかし、知識を得た代償だろうか、行動する前に昔よりも考えすぎる癖がついてしまった。友だちと遊ぶときに昔は何も考えていなかったが、今では気難しいことを考えてしまう。要は頭でっかちになったと言えばいいだろうか。知識を得ることは必ずしも進化ではなく、時には退化に繋がると思った。

そんな現在、ふと脳裏をよぎったことがあった。だれだか有名な経営者が「成功するには馬鹿になれ」と言っていた。ようやくその言葉が腹落ちした気がする。様々な知識を得た上で、馬鹿になって頭でっかちな自分を捨て去り、行動する。そうすることで道が拓けるのだ。そして、知識を持つ馬鹿は豊富な知識を持ち合わせているがゆえに、知識なき馬鹿よりも圧倒的に優勢である。そういうことなのかと思った。

ニーバーの祈り という祈りがある。変えることができることを変える勇気と変えられないことを受け入れる忍耐、そしてそのふたつを見極める聡明さを与えてくださいという祈りだ。似たように、知識を活かして冷静になるべき局面と、馬鹿になってとにかく行動すべき局面があり、その両方を見極めることが大事なのだと思う。