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✲゚。.ヾ(⌒(ノ'ω')ノ☆.。

変色系男子の日常。

「生きる」とは

大層なタイトルですが、ちょっと語ってみます。

「生きる」とは一体なんでしょうか。その問いに対して、最近頻繁に感じることがあります。
そして今、およそ 28 年間生きてきた自分なりの考えを述べることができます。

「生きる」とは、バランスを模索していくこと。

だと僕は思います。「バランス」は「中庸」と言い換えることもできるでしょう。

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私はプログラマーの端くれとして働いていますが、社会人になって頻繁に聞くようになった単語があります。それが「トレードオフ」というキーワードです。
トレードオフとはすなわち「あちらを立てればこちらが立たず」ということです。
例えば、ソフトウェア開発ではスコープ (作成するシステムや機能の規模) と予算、あるいは期限などがトレードオフの関係です。かゆいところに手が届くような多機能なシステムを作れば、その分多くの予算や長い期限が必要になります。かといって、予算を削減したり、期限を短くしようとすれば、作成可能な機能は限られてしまいます。それらについて最適なバランスを熟慮した上で落としどころを決定するのがトレードオフです (だと私は認識しています) 。

そして、日々の生活 (人生というと大げさなので) でもこのような場面が非常に多いように感じます。というか、このような場面ばかりです。
ここで、何点かその例を挙げてみます。

(例1) 「自信過剰」と「自信過少」

自信があることは素晴らしいことですが、ありすぎても傲慢になってしまいます。
かといって、自信がないことは謙虚ともいえるかもしれませんが、消極的になり自分の能力を十分に活かせなくなってしまいます。
だから、そのバランスを取ることが大切でしょう。

(例2) 「空気を読むこと」と「空気を読まないこと」

空気を読むことは (特に日本人の間では) 往々にして美徳だとされます。なので、空気を読まないと協調性がないと思われたり、場の空気を凍りつかせたりしてしまうことがあります。
しかし、空気を読んでばかりだと同じような考えや雰囲気で場が淀んでしまうことも少なくないです。そういうときは、空気を読まない発言や態度が場の淀んだ空気を変えてくれることもあります。
だから、どちらの行動も大事であり、一方に偏るのはよろしくないのでしょう。

(例3) 「病気のせいにすること」と「病気のせいにしないこと」

私は高校の時からうつ症状に悩まされており、現在でも治療を行っています。うつによる無気力感に悩む日々は「これは単なる怠けなのではないか」という葛藤の日々でもあります。しかし、それが病気のせいなのか単なる怠惰なのかは結局わかりません。
ここで何でも「病気のせいにする」と、あらゆる怠けを病気のせいにします。本当に頑張れるのに努力しなかった場合も病気を言い訳にしてしまいます。
一方、何でも「病気のせいではなく自分のせいにする」と、罪悪感や重圧に押しつぶされてしまいます。みんなはできていることが、なんで自分にはできないんだろうと苦悩して、どんどん落ち込んでしまいます。本当は病気のせいで人並みのパフォーマンスが出せないだけかもしれないのに。
だから、どちらか一方の考え方に偏るのは危険です。


このように、生きる上でバランスを取るべきことは無数にあります。どちらか一方に偏っていれば OK だったり、◯◯するのに越したことはない、ということの方が少ないと思います。
お金だってあるに越したことはないかといえば、そうではないという意見もあるでしょう (「貧乏だからこそ、物の有り難みがわかる」とか) 。

だから、「生きる」とは自分なりに色々なバランスを模索していくことだと私は思います。 ただ人それぞれバランスの取り方が違う、これが「個性」なのかな。
そして、「マリオのようなオールラウンダーなキャラでは面白く無いので、ちょっとある方面に尖ってみる」というのもありだと思います。「俺は空気をあまり読まず、場をかき乱す人間になるぜ」とか。ただ、これはある程度バランスを追求した上で行うのが大切でしょうけど。

まあこんなことを考えつつ、生きています。
バランスに正解はないので、たぶん死ぬまで追求していくのだと思います。

結論:「中庸」は難しいでちゅぅよぅwwwwww (ノ∀`)