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変色系男子の日常。

ぼけることに対する恐怖について

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季節の変わり目のためか、自律神経が不調なようで、身体のこりがひどく頭がもやもやする日々が続く。脳内が霧につつまれたミッドガルのようだ。 さらにそのためか、会話の際に言葉に詰まったりすることが普段より多いような気がする。

こういうときに抱くのが「脳に異常があるのではないか」、よりありていに言えば「ぼけているのではないか」という恐怖だ。

数年前にも似たような症状に悩んでいた時期があり、その際は心療内科の先生の紹介で脳外科を受診したのだが、脳に異常は無かった。 それでも同じような症状が出るたびに、脳の異常が心配になる。 それくらいにぼけることに対する恐怖が大きいのだ。

その強迫観念のようにしつこい恐怖がストレスを生み、さらにストレスを悪化させるという悪循環に陥っている気がする。 じゃあどうすればいいのかと考えてみた。

そうして導き出したひとつの結論が「『ぼけてもいいや』とあきらめる」ということだ。 「ぼけてはいけない」という観念がぼけることに対する恐怖を生むので、それを捨てるということだ。 ぼけることはやはり恐ろしいこと、それはどうしても否定できないが、それでも「ぼけてもしかたない」と肯定的にあきらめることだ。 「ぼける」という状態自体は、それ自体が良いとか悪いとか平気とか恐ろしいとかそういう概念はなく、 恐ろしいと解釈するのはあくまで僕らの主観だ (もしかしたら、ぼけることはなんでもないことだと考える人もこの世にいるかもしれない) 。

と、この間読んだ仏教関連の本の「ものごとをありのままに認める」という旨の内容を思い返してそう思った。

認知症に罹って症状が進行中の段階にある人のことを思うと、その恐怖は察するに余りある。 ぼけて大切な記憶がどんどん欠落していくという事実を当人が認識できてしまうからだ。 しかし、それすら認識できなくなる、つまり「自分がぼけていることすら分からないくらいぼけてしまう」と そんな恐怖を感じることすらなくなり、心に平穏が訪れるのではないだろうか。

まあ実際にぼけきってみないと分からないが、ぼけたらぼけたでそれを認知する能力を失ってしまうので、 とどのつまり「ぼけたあとに心に平穏が訪れるのか否か」は誰にも分からない問題なのだろう。 死後の世界がどのようなものなのか (そもそも存在するのか) は死者にしか分からないが、死んだらそれを認識することができないのと同じように。

そういえば明日スプラトゥーンで開催されるフェスのお題は「まんざいをするなら? ボケ vs ツッコミ」だったな。 そして僕は「ボケ」に投票したんだった。 書いてる途中でお題を思いだした (マジだぜ) 。タイムリーすぎる。

あと 4 ヶ月前にも同じような内容の記事を投稿していたことにあとで気付いた。あはは、やはり僕のぼけに対する恐怖と執着は相当なもののようだ。